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子どもに「怒る指導」で、本当に柔道は伝わっていますか?
「礼に始まり、礼に終わる」。
これは、柔道を学ぶすべての人が最初に教わる言葉です。でも、私たちはこの言葉の意味をどれだけ深く理解しているでしょうか?子どもたちに対して、本当に“心のこもった礼”を指導できているでしょうか?形だけの挨拶になっていないでしょうか?あるいは「礼をしなさい」と一方的に押しつけることで、子どもの心を置き去りにしていないでしょうか?
そもそも、子どもたちはなぜ柔道を始めたのでしょうか?
「強くなりたいから」「試合に勝ちたいから」…確かに、そういう理由もあるかもしれません。でも、もっと素朴な理由、たとえば「友達がやっていたから」「体を動かすのが好きだったから」「お父さんが昔やっていたから」といった、ごく小さなきっかけから始まった子も多いのではないでしょうか?
私たち大人は、いつの間にか「勝つこと」「結果を出すこと」にばかり目を向けてしまってはいないでしょうか?
「試合に勝たせたい」「もっと強くしたい」その思いが強くなるあまり、厳しい練習や怒鳴り声が日常になっていないでしょうか?本来楽しいはずの柔道が、気づけば“苦しい時間”に変わってしまってはいないでしょうか?
怒鳴ることは、指導と呼べるのでしょうか?
「何度言ったら分かるんだ!」「ちゃんとやれって言ってるだろ!」
こんな言葉を、つい口にしてしまったことはありませんか?
子どもがミスを繰り返すとき、大人がイライラしてしまうのは理解できます。練習を真剣に見ていればこそ、つい声を荒げてしまう。けれど、その怒鳴り声の先にあるのは、果たして成長でしょうか?それとも、恐怖や萎縮でしょうか?
怒られながら稽古を続ける子どもたちは、本当に柔道を楽しんでいるのでしょうか?「怒られないように行動する」ことが、「主体的に動いている」こととすり替わってはいないでしょうか?本音を言えば、本当は怖くて仕方がない。でも、大人の顔色を見ながら動いているだけなのかもしれません。
中には、「指導とは厳しくあるべきだ」「昔はもっと厳しかった」と言う方もいます。
けれど、その“昔の指導”で柔道をやめてしまった仲間はいませんでしたか?「あの時、もっと違う接し方をしていれば…」と後悔した経験はありませんか?
怒ることで一時的に成果が出たとしても、その子の心は本当に育っているのでしょうか?
「怒る」のではなく、「伝える」「聴く」「見守る」ことの大切さを、私たちは忘れていないでしょうか?
子どもの「心」とどう向き合っていますか?
柔道の技術を教えるだけでなく、人としての在り方を伝えるのが柔道指導者の役目ではないでしょうか?
「受け身はこうだ」「崩しはこうだ」と教えることももちろん大切です。けれど、それと同じくらい、いやそれ以上に、「子どもの心を育てる」ことが大切ではないでしょうか?
子どもたちは日々、学校や家庭、友達関係の中で小さな不安や悩みを抱えています。
道場に来るとき、元気がないと感じたことはありませんか?そんなとき、「最近、何かあったのか?」と一歩踏み込めたことはあるでしょうか?
柔道の稽古の時間だけを見て、「やる気がない」「甘えている」と判断していないでしょうか?
もしかしたら、学校でつらいことがあったのかもしれない。家で叱られて、落ち込んでいるのかもしれない。そんなとき、指導者がただ「頑張れ」と言っても、子どもには届かないかもしれません。
心に寄り添い、信頼関係を築いたうえで初めて、技術指導が活きてくるのではないでしょうか?
勝つことの先にある“本当の成長”とは?
私たちは、子どもに何を学んでほしいのでしょうか?
試合に勝つことだけが、柔道の目的なのでしょうか?確かに、勝利は嬉しい。努力が報われた喜びもあるでしょう。でも、勝つことだけにこだわるあまり、負けた子を責めたり、居場所を奪ってはいないでしょうか?
負けた経験から、何を学べるか。悔しさをバネに次に進む力。努力を継続する粘り強さ。そうした「心の成長」にこそ、柔道の本質があるのではないでしょうか?
また、勝てなかった子、技術的に伸び悩んでいる子にも、柔道の魅力を伝えられているでしょうか?
「君が必要なんだよ」「一緒に柔道を続けよう」そんな一言が、その子の人生を変えることもあるかもしれません。
試合に勝てなくても、仲間を応援する姿。掃除を最後まで手伝う姿。年下の子にやさしく接する姿。
そうした日々の行動の中にこそ、柔道で育まれた人間性が表れているのではないでしょうか?
子どもたちにとって、道場はどんな場所でありたいですか?
あなたの道場は、子どもたちにとって「また行きたい」と思える場所でしょうか?
「今日も怒られるかもしれない」「失敗したら責められる」そんな不安を抱えて通う場所になっていないでしょうか?
柔道が、単なる技術の習得や勝負の場ではなく、「心を育てる場」であってほしい。
そのために必要なのは、教えること以上に「聴くこと」「見守ること」ではないでしょうか?
子どもたちが将来、ふと柔道を振り返ったとき、こう思えるような時間を提供できているでしょうか?
「勝ち負けよりも大事なものがあった。あの道場で過ごした時間が、今の自分をつくっている」
そんな言葉を、子どもたちの心から引き出せるような柔道を、私たちは一緒に築いていきたいと思いませんか?